sumou
相撲との関わり
小さい頃からプロレスラーのように大きくて強い男に憧れてきたが、気がつくと前世紀末の頃で、40歳代半ば。毎晩錦三界隈を午前様まで徘徊、超不摂生な日々を送っていた。
この頃から会社業績が悪化してきて、社員数の削減等で胃の痛くなる日々が続いていた。
そんな時、東京から通う社員の知人ということで、当時二子山部屋の若手力士の浪乃花関を紹介され、男前で気風がよく、すぐにファンになってしまい、名古屋後援会を作ってしまいました。
当時は名古屋商工会議所の若鯱会に在籍しており、かなり強引に多くの友人を後援会に入会させて、浪乃花を肴に、おおいに盛り上がりました。
後援会設立直後に、小結まで一気に駆け上がり、大関も近いかと皆が思った時、怪我をしてしまい、その怪我が元で、1997年3月に引退してしまいました。
引退の断髪式にも招待されて行ってきましたが、当時は自分の仕事が最悪で、しんどかったことを覚えています。
引退から、浪乃花は、江東区牡丹で『和食会席料理の大島』を開業して自身で厨房に立ち、お客様を迎えております。
現役時代には「ミニウルフ」と言われ、小兵ながらも気合の入った相撲で人気を誇った浪乃花が、現在はその気合をお客様へのサービスと食材を調理するこだわりへ。
土俵の鬼、初代若乃花の最後の弟子、浪乃花の全盛期
眼光鋭く、塩を撒く姿は千代の富士似で、人気がありました。
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浪乃関思い出の取組
剣晃関と因縁の始まりとなる取組 平成5年3月場所初日
- 平成5年3月場所初日の対戦で、浪乃花の睨みにかっと来たのか剣晃関が執拗な張り手を浴びせ浪乃花は途中で記憶を失い、顔中血まみれになって土俵下に落ち、それは大変な一番でした。
- 浪乃花関も引退のとき一番の思い出に、この取組を上げていました。
剣晃関とのリベンジ戦 翌場所 平成5年名古屋場所千秋楽
- 翌5月場所でリベンジしました。以降の剣晃戦は浪乃花の方に分があったようでした。
- その剣晃関は平成10年3月10日現役中に突然の病で亡くなりました。
琴別府関との水入りの大一番
- 何月場所か覚えていませんが、平成5年9月場所以降の取り組みです。
- 重い琴別府関と2分の大一番を制し、髷はまさに土俵の鬼でした。
引退会見
- 平成9年3月、二子山親方と引退会見の画像です。
- 思い出の取組はとの質問に対し、剣晃関との一番ですが印象的です。
リクエストにお応えしてChapter単位で登録しましたので一挙にご覧ください。
(Chapter-01と15を追加しました。 2012/11/03)
浪乃花取組 Chapter-01 01/18 | 幕下から関取に十両昇進 |
浪乃花取組 Chapter-03 03/18 | 十両時代の武蔵丸他 |
浪乃花取組 Chapter-04 04/18 | 十両時代の魁皇関他 |
浪乃花取組 Chapter-05 05/18 | 剣晃関因縁の一番他 |
浪乃花取組 Chapter-06 06/18 | 剣晃関リベンジ&十両優勝他 |
浪乃花取組 Chapter-12 12/18 | 横綱、大関対戦他 |
浪乃花取組 Chapter-13 13/18 | 琴別府水入りの一番他 |
浪乃花取組 Chapter-15 15/18 | 小城錦、琴錦、旭道山、小錦、寺尾他 |
浪乃花取組 Chapter-16 16/18 | 寺尾関他、終盤の取組 |
- 浪乃花関より取組映像を多数入手しました。ご希望の取組がありましたら出来る限り載せますので、お問い合わせよりメールください。
浪乃花名古屋後援会
化粧回し(1996年)
浪乃花の激励会を何回も行なって、資金を貯めて、化粧回しを作りました。
化粧回しには、斎藤吾朗先生に奥三河の花祭りに登場する、榊鬼の絵を描いていただき、浪乃花に贈呈しました。
土俵の鬼といわれた、初代若乃花最後の弟子の為、鬼絵を描いていただきました。
現在は斎藤吾朗先生のアトリエに展示されています。
激励会(1996年7月)
応援歌
ついに、応援歌まで作ってレコーディングを行い、これも会員に強引に売り捌き、
結構迷惑がられました。
Youtubeでお聴きください!
レコーディングは女性歌手の神谷富士子さんにお願いしたのですが、
ついでに自分と、友人の青山氏も行い、大胆にも自分たちのカセットも売り捌き
かなりの顰蹙を買いました。
大須のスタジオにて、素面でのレコーディングの為、なかなかうまく唄えず!
斎藤吾朗先生の個展会場にて、応援歌を神妙な顔で聞き入る浪之花。
浪之花引退興行(1997年7月)
最後の弟子の断髪を行なう、土俵の鬼といわれた初代若乃花(二子山部屋親方)
桐山部屋応援
歓迎桐山部屋
浪乃花が引退して手持ち無沙汰な頃、知人から小さな部屋の応援をして欲しいと依頼され、名古屋場所の部屋も自宅から近かったので、桐山部屋に通い、ホームページを作ったりして、部屋の力士たちの応援をしていました。
チャンコもご馳走になりました。旨かったぜ!
桐山親方とちゃんこを食べながら相撲談議中の四股名、青瀬川の青山さん。
気のいい、早瀬川。部屋頭だったが、ダイエットに成功して引退しました。
引退後は実家の田原市でちゃんこ屋を開店すると言ってました。
栃の山のブログ 2010-10-15に早瀬川の断髪式が載っていました。
早瀬川と金剛富士のショッキリは大受けでした!彼は力士には惜しいジャニーズ系。
引退して何しているんだろうか?格闘家とかタレントにでもなれそうなイケメン力士だった。

徳瀬川というモンゴル人の幕内力士も育てたのですが、例の八百長疑惑で相撲界から追放されてしまいました。
それが引き金ではないのですが、彼以外の力士が育たず、結果として桐山部屋は他の部屋に吸収されてしまいました。
2010年名古屋場所で千秋楽に友人の青山氏と観戦に行ったのですが、当時、徳瀬川は1日おきに勝ち負けが続き、結果としては毎場所勝ち越しをしていたので、つい、今まで思っていたことを酒も入っていた為、土俵溜りから大きな声で『真面目にやれっ!』と声をかけてしまい、回りから爆笑されました。
当日は同じモンゴル人力士の取り組みで、結果的に徳瀬川は負けてしまいました。
しかし勝ち越していました。
千秋楽の為、そのまま桐山部屋の激励会に行き、そこで徳瀬川に声をかけたところ、いきなり怒られてしまいました。
『二人とも酔っ払い過ぎですよ!真面目にやれなんて、ガチンコしてないみたいじゃないっすか!ぶつぶつ.........』
信じられない!タニマチに対して声を荒げるなんて!
浪乃花の時は、もっと凄い応援をしても、いつもにこっとして『本当にもう....』で済んでいたので、あきれて返ってしまい、以降、桐山部屋には行っておりません。
翌年大相撲八百長問題が発覚して多くの力士が追放されてしまいました。残念ながら徳瀬川も先場所千秋楽で対戦した白馬関も追放メンバーに含まれていました。
3月場所は中止、5月場所は技量審査場所として番付表には廃業の力士が多数載っていました。
相撲はスポーツというよりは、興行であり、神に奉納される古来よりの武道です。
八百長というと汚い言葉ですが、武士の情け的な要素もあり、元々大半の力士が売買していると言う噂話は聞いていましたので(但し二子山部屋はガチンコのため他の部屋から嫌われていたらしい)自分たちは、当たり前として観ていました。しかし当の本人たちは後ろめたさがあって、戦々恐々だったのでしょうか?
あれ以来、相撲熱も冷めてしまい、相撲観戦も数回しか行っておりませんが、日本人の有望な力士が出てこないと、相撲もつまらないですね。
そういえば2000年頃、桐山部屋に、式守健太という序二段格の行司がいましたが、その後引退して鶴川健吉という名前で第110回文学界新人賞に輝いたそうです。『乾燥腕』という題名らしいですが、行司から小説家とは、凄い変身ですね。
その後、どうなったかはわかりませんが、どなたか消息を知っている方は、連絡をお願いいたします。
善瀬川
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